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行徳寺町の歴史 -History of GYOTOKU 

 

行徳寺町を紹介するシリーズの2回目です。
前回のポストも是非お読み下さい。

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Rolleiflex 2.8F
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これから行徳寺町の紹介をするにあたって
先ず行徳の歴史から解説せねばなるまい。


現代以前の行徳の歴史は塩の歴史だ。

◆近世
戦国時代に既に江戸湾岸における最大の塩の産地になっていたが、
かの徳川家康が行徳を幕府直属の天領とし、塩業を保護、奨励した為
東国第一の「行徳塩業」となった。

Gyotoku1.jpg
当時の製塩業の様子



塩の運搬の為に船着場が作られ「行徳船」が就航するようになり、
流通の拠点として塩だけでなく、人や物資の運搬も盛んになった。

また、文化・文政のころからは、江戸で成田山詣でが流行し、
旧成田街道が通る行徳は船場、宿場として活況を呈した。
#現在の千葉街道→成田街道は総武線に沿った内陸地にある


更に、江戸時代には信仰とレジャーをかねて
全国各地に西国札所を摸した札所めぐりのミニチュア版がつくられた。

行徳・浦安札所は、元禄3年(1690年)に、徳願寺の10世覚誉上人自ら
33体の観音菩薩像を刻んで行徳領内の徳願寺をはじめ33カ寺にわけたのが始まり。
 
行徳札所は江戸時代中期から後期には、江戸住民ばかりでなく
下総各地から巡礼が訪れていた。
#明治時代後半になって急速に衰えてしまったらしい。

このようにして行徳は江戸の勝手口として
「戸数千軒、寺百軒」といわれるほどに発展したのだ。


◆近代 
明治に入り外輪船が往復し水運が盛んだったが、
1894年(明治27年)にその後の行徳の運命を決める転機が訪れる。

現在のJR総武線が開業するにあたって
行徳経由に地元住民が反対し、同線が内陸部を走るようになると
同時に水運も衰え、近代的交通路から取り残されてしまったのだ。


しかも1917年(大正六年)の大津波で塩田が消滅、
水田と蓮田の半農半漁の静かな村になった。
 
更に洪水対策の為1919年(大正8年)江戸川放水路が開削され、
今も地図で見ても解るように行徳・浦安は完全な””になってしまったのだ。

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明治初期の地図
江戸川沿い右側にある集落が行徳
右上隅にある江戸川が蛇行している部分が
その後江戸川放水路になる部分


Gyotokumap2.jpg
現在の地図
江戸川放水路が出来て浦安と行徳は島になったのが解る



こうして距離的には東京から非常に近いにも関わらず
「陸の孤島」呼ばわりされ、町はさびれる一方となってしまった。


◆現代
東京湾はかつて豊饒の海と言われ野生動物の宝庫だった。

浦安から行徳にかけて広大な湿地とよく発達した干潟がひろがり、
雁や鴨、鷺、千鳥等の群れが空を暗くするほど見られたそうだ。

実際日本で記録された鳥類約520種のうち260種以上が記録される
国際的にも有名な鳥類生息地でもあった。
#現在も行徳野鳥公園と宮内庁お狩場に面影を見ることが出来る

これだけの野鳥が来るのだから魚類や貝類も極めて豊富であった。

第二次世界大戦迄の昭和の頃迄は
江戸川と東京湾の水質も未だ非常に綺麗で
豊かな漁場を持つ小さな漁村という感じだったようだ。

ところで浦安市はかつての面影を後世に伝えるのに熱心で
市内の本屋に必ずと言って良い程置いてある
浦安市編纂の郷土史の本に載っている寂しげな漁村の写真は
大正の頃かと思ってキャプションを見たら
昭和30年と書いてあってビックリした位だ。

そう、つい最近までこの地は漁村だったのである。



こうして首都東京の直ぐ側にありながら
静かで穏やかな漁村だった町を劇的に変える事件が起こる。

1958年(昭和33年)に対岸の江戸川区篠崎にある
本州製紙(現王子製紙)江戸川工場から黒い排水が流れ出た。

これによって漁業は壊滅状態になり
下流の漁民らが工場に乱入し、機動隊と衝突
漁民側に重傷者35名、軽傷者108名、の大事件となった。

この事件を契機に水質汚濁防止法制定の国会審議が促進されたが
実はこれは日本初の環境争議であり、初の環境立法だ。

もうお分かりの通り東京湾は戦後開発が劇的に進み
静かに漁業で暮らしていた人々は漁業を諦めざるをえず
生活が根底から変わってしまった。


こうして大正時代のあたりから周辺から取り残され
生活の糧も奪われ明るいニュースの乏しかった行徳・浦安に転機が訪れる
1969年(昭和44年)の営団地下鉄(現東京メトロ)東西線の全線開通だ。

これにより急速なベッドタウン開発が始まる。




更に土地のイメージ迄劇的に変えてしまう事業が興った。
1983年(昭和58年)東京ディズニーランドの開園だ。

ボクも行徳浦安のイメージと言えば
東西線から見える景色がドンドン変わっていくが
ダンプと開発のイマイチなイメージしか子供心には無かった。

しかしTDLの登場は何もかも変えてしまったインパクトがあった。
開発担当をしたオリエンタルランド元社長の高橋政知さんの
回想記を新聞で読んだことがあるが非常に感動的だった。

想像を絶する苦労や困難を越え夢を形にした人達が
この地にはたくさんいる。



ボクはこの高橋さんの話をキッカケにして
このかつて行徳領と呼ばれた土地に興味を持ち
東京湾に最後に残った豊かな自然に魅せられて住むようになったが
調べてみると結構世界的にもまれな劇的な歴史を持った町であり
その大きく変わりゆく町を静かにずっと見守っていた
神様(寺社仏閣)が今も人知れず取り残された様に静かに立っている。

このエントリーを読んだ方が
東京ディズニーランドに遊びに行った際
もう少し足を伸ばして旧来の街角とその歴史も楽しんで貰えれば
と願いつつ、行徳寺町の紹介をボチボチ出来ればと思ってます。












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