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銀座の路地入門 -銀座の歴史 

 

Back Alley in Ginza
Praktica PLC3
Carl Zeiss Jena	PANCOLAR 50mm F1.8
FujiFilm NATURA	1600


銀座と言えば今も昔も華やいだ街だ。

高級ブティックが立ち並ぶ表通りの様子は
東京に在住でなくてもよく知られたイメージであろう。

既に書いたように、この銀座百景シリーズでは
銀座という街のコントラストを描いてみようと思っている。

現在進行形で開発が進む銀座だけど
目を凝らすと昭和のみならず明治や江戸の名残も未だ見える。

いにしえの銀座を見たいなら路地を巡るに限る。
写真のように銀座の路地はタイムスリップしたような場所だ。
その路地を楽しく巡る前に銀座のタイムトラベルを少ししてみよう…



街を楽しむには歴史を知ることが一番だ。

京都や奈良を皆あれだけ楽しめるのは歴史を習っているからだろう。
しかし何故か東京の場合は京都等と比べて皆意識が薄い。

ボクが以前大阪に住んでいて一人で飲みに行ったとき、
隣り合わせた人に大阪の街の歴史を教えてもらって楽しかったと同時に
居合わせた皆が大阪の歴史を良く知っている事に驚いたことがある。

ナニワとよそ者は一括りに言うけれど
漢字にすると浪花、浪速、難波と様々あるその地名の由来は
昔大阪の現在の陸地が大きな入江だった時代に
潮の流れが早く、波の泡が花のように立つほど
水運にとって難所だった事から来ている。


東京も江戸時代以前は今と全く違った形をしていて
ここの地図にあるように日比谷まで東京湾の入江があった。

その入江の東側に江戸前島という半島があり、
その端が今の銀座であり、実は大部分が近世以降の埋立地なのだ。
そして銀座の発祥は1612年に貨幣鋳造の銀座役所が造られたことに始まる。

江戸時代は今と違い職人の街だった銀座だが
今の銀座を形作ったのは1870年頃に2度に渡っての大火事をきっかけに
東京を不燃都市化する目的と文明開化の象徴的な街にする目論見で
1873年から銀座煉瓦街の建設が始まったことからである。

今では銀座に居住する人口は少ないが
かつてはもちろん多くの人の生活の場であった。
銀座煉瓦街の際の大規模な区画整理後でも
生活の主な場である路地は残り
今でも大小50以上の路地があるとの話である。

路地は都市計画上の観点でも優れたものだそうで、
現在の銀座中央通りである東海道の裏側に路地を張り巡らし
多くの敷地を串刺しにする事で
当時世界的にも人口密集地であった江戸の庶民の
住宅需要にこたえる施策であったそうだ。


その後関東大震災、東京大空襲等の苦難を経て
銀座の街は時代と共に変容していった訳であるが
居住者こそ減れど銀座で生活を送る人達の間では
路地は今でも銀座を銀座たらしめる重要な部分として認識されている。

事実、街のビル化によって路地をまたいでビルが立っても
路地そのものを消さないようにビルの中に
かつて路地だった抜け道があったりする

そんな生活者にとっては便利な近道だったり、
隠れ家が潜んでいたりもする大事な路地を
のんびり散策していきましょう。









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