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銀座に残る煉瓦街の遺構 -Bricks remains of former Ginza town 

 

Bricks remains of former Ginza town
Praktica MTL5
TOMIOKA	COSINON AUTO 55mm F1.2
FujiFilm NATURA	1600


日々変わりゆく銀座のちょっと違った側面をご紹介する銀座百景シリーズ

古き良き銀座の面影を残す「銀座の路地」
初めてご覧になる方は、先ずこの銀座の歴史から御覧ください。


銀座の最初の迷宮を出たら、金春通りにちょっと戻ってみよう。
そこには二つの歴史的遺構がさりげなく置いてある。

先ず目に付くのは煉瓦の遺構だ。
この遺構は銀座八丁目八番地(旧金春屋敷敷地内)で
発掘され、金春通りに記念碑として保存されているものだ。


このシリーズの銀座の歴史のポストで書いたように
銀座はかつてのは煉瓦で作られた街であった時代がある。

煉瓦街は日本に二箇所しか建設されなかった貴重なものだ。
#もうひとつは丸の内のもの

煉瓦街は1872年の銀座大火をきっかけに
東京府知事・由利公正の主導により、大規模な区画整理と、
トーマス・ウォートルスというイギリス人の設計による
フランス積みという煉瓦の積み方で
ジョージアン様式の銀座煉瓦街の建設が行われた。

この政策は、火事の多かった東京を不燃都市化することと、
銀座を文明開化の象徴的な街にする思惑があったとされる。

煉瓦街は当時の国家予算の4%弱を費やし
10年かけてまず1873年銀座通り沿いに完成し、
1877年に全街区の建設が完了した。

延べ1万メートル余もあったこの巨大事業により
現在の銀座の原型が完成したのである。


しかし残念ながら今ではトップの写真のような遺構でしか
その面影を見ることは出来ない。

1923年9月1日に発生した関東大震災で銀座は町の大半を焼失、
壊滅的な被害を受けた。

震災を契機に煉瓦家屋のほとんどの取り壊されたが
街区に関しては1872年の区画整理時の町並みが残された為
現在も辛うじて140年程前の路地が生き残っているである。


Water pipe in Edo era
Praktica MTL5
TOMIOKA	COSINON AUTO 55mm F1.2
FujiFilm NATURA	1600

そしてもう一つの遺構は江戸時代の水道管だ。
煉瓦遺構の碑のすぐ近くに置いてある。

江戸時代には木製の水道管で水道が張り巡らされていた。
地下から出土したこの水道管は本来貴重なものだろうが、
言われる迄解らないくらいさりげなく置いてある。

置いてあるところが数々の飲食店が多い通りだけに
酔客がよく座り込むらしく注意書きが書いてある。

確かに一見居酒屋の入店待ちの椅子代わりにしか見えない。
ちょっとユーモラスに感じる遺構だ(笑)









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