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行徳寺町85 -おかね塚  遊女の恋物語伝説 

 

おかね塚
Leica M4
Voigtländer NOKTON classic S.C 35mm F1.4
Kentmere 100


行徳寺町を紹介するシリーズの85回目です。

1)行徳寺町(必見)
2)行徳寺町の歴史
3)徳願寺1 (行徳札所第一番) 
4)徳願寺2 (行徳札所第一番)
5)徳願寺3 (行徳札所第一番)
6)行徳の街並み1
7)徳願寺4 (行徳札所第一番)
8)常運寺1
9)常運寺2
10)行徳の街並み2
11)福泉寺 (行徳札所第二番)
12)長松禅寺1 (行徳札所第三番)
13)長松禅寺2 (行徳札所第三番)
14)妙応寺1
15)妙応寺2
16)妙頂寺
17)世界に誇る行徳の伝統事業 -神輿
18)500年の歴史を持つ浅子神輿店
19)香取・相之川例大祭
20)行徳神輿の担ぎ1 地摺り
21)行徳神輿の担ぎ2 さす・投げる
22)行徳神輿の担ぎ3 子供神輿と人々の笑顔
23)自性院1 (行徳札所第四番)
24)自性院2 (行徳札所第四番) 勝海舟の歌碑
25)神輿の故郷、中台製作所にお邪魔しました
26)貴重な神輿制作の現場取材記
27)現代の神輿師中台洋さんにお話を伺う
28)放火から蘇った神明(豊受)神社
29)大徳寺 (行徳札所第五番)
30)正源寺 (行徳札所第七番) 560年誰も見たこと無い辨天様の居る寺
31)徳願寺の初詣
32)行徳の街並み3 澤木酒店
33)養福院 (行徳札所第八番) 
34)春日神社(妙典)1
35)春日神社(妙典)2 関東一の獅子がいる社
【番外編】中山法華経寺 -日蓮宗の大本山 
36)清寿寺 病気にご利益の高い寺
37)八幡神社(上妙典)
38)妙好寺1
39)妙好寺2 茅葺きの山門がある寺
40)妙好寺3 御会式の万灯行列
41)胡録神社(河原)
42)春日神社(河原)
43)雙輪寺 (行徳札所第九番・十番)
44)了極寺 (行徳札所第十一番)
45)安養寺1 (行徳札所第十二番)
46)安養寺2 (行徳札所第十二番) 国内唯一のはだし大師
【番外編】雪の行徳寺町その1 その2その3
47)大鷲神社 千葉県初の横綱を産んだ神社
【番外編】行徳寺町と東日本大震災
48)妙行寺 枝垂桜がある御祈祷の大寺院
49)稲成神社、浄経寺、日枝神社 、圓福寺、常明寺 
50)甲大神社 1000年以上の歴史を持つ大和田の氏神
51)稲荷木一本松と延命地蔵
52)稲荷神社(下新宿)
53)行徳寺町公園で一休み
54)権現道 徳川家康が歩いた古道
55)法泉寺(行徳札所第十三番) 家康のお休み処
56)妙覚寺1  房総にただ1基あるキリシタン灯籠
56)妙覚寺2 かつての行徳の名残 正覚延壽辨財天池
57)法善寺(行徳札所第十四番) 芭蕉歌碑と四万十川の巨石のある塩場寺
58)行徳の街並み4 田中染物店
59)行徳の街並み5 中島米店 旧成田街道分岐点であり寺町の入口
60)豊受神社(本塩)
61)圓頓寺
62)行徳の街並み6 平川医院
63)浄閑寺 (行徳札所第十五番) 参道にある六面塔
64)行徳の街並み7 廣月堂 -昔懐かしいお菓子屋さん
65)行徳の街並み8 田中邸
66)正讃寺 草庵のように佇むお寺
67)行徳の街並み9 漁師町の面影
68)行徳の街並み10 行徳橋南詰の景色
69)教信寺 (行徳札所第十六番・十七番)
【番外編】行徳を舞台にしたドラマ「帰郷」が放映されました。 
70)上妙典龍宮様
71)行徳のシンボル 常夜灯
72)行徳の街並み11 対岸の造船所 
73)行徳の街並み12 加藤邸 行徳初の国登録有形文化財
74)行徳の街並み14 笹屋うどん 築160年の古民家 かつての行徳名物
75)行徳の街並み15 後藤神輿店
76)徳蔵寺(行徳札所第十八番・十九番)
77)本久寺 眼病守護の日蓮大菩薩
78)横町稲荷神社
79)胡録神社(関ヶ島) 横綱栃錦の土俵がある神社
80)豊受神社(伊勢宿)
81)神明神社 ちょっと笑える狛犬
82)八幡神社(本行徳)
【番外編】行徳寺町オフ会開催!! -寺のまち回遊展
【番外編】寺のまち回遊展レポートその1 
【番外編】寺のまち回遊展レポートその2  -浅子神輿店の内部を見学!
83)清岸寺 (行徳札所第二十番)
84)馬頭観世音

も是非お読み下さい。



浅子神輿店の横を50メートルほど行って右に曲がる。
ここら辺りにはかつて潅漑用の水路(内匠堀)があった場所で
この場所はかつての押切村と伊勢宿村の村境との事です。

真っ直ぐ行くとトップの写真のような小さな共同墓地がある。
正面の寛文5年(1665)建立の阿弥陀石像がおかね塚だ。

実はこの石仏は庚申塔で、「如等所業 右志者道俗願満足・・・」
という願文が彫られています。


_IGP0283a
PENTAX K-x
Carl Zeiss Jena Biotar 58mm F2



押切には古くから「おかね塚」の話が語り継がれてきました。
 
押切の地が行徳の塩で栄えていた頃、
押切の船着場には、製塩用の燃料が上総から定期的に運ばれた。
 
輸送船の船頭や人夫の中には停泊中に江戸吉原まで遊びに行く者もあり、
その中のひとりが「かね」という遊女と親しくなり
夫婦約束をするまでに至り、船頭との約束を堅く信じた「かね」は
年季が明けるとすぐに押切に来て船頭に会えるのを楽しみに待った。
 
しかし、船頭はいつになっても現れず、
やがて「かね」は蓄えのお金を使い果たし、
悲しみのため憔悴して、この地で亡くなった。
 
これを聞いた吉原の遊女たちは、「かね」の純情にうたれ、
僅かばかりのお金を出しあい、供養のための碑を建てた。
村人たちもこの薄幸な「かね」のため、花や線香を供えて供養したという。
 
行徳の街が日増しに変わりゆく今日、たとえ遊女のかりそめの恋物語でも、
語り伝えて供養してきた先祖の人たちの心を後世に残そうと、
地元有志によって「行徳おかね塚の由来」を書いた碑が建立されている。




しかし、このおかねの物語は実は後付された伝承にすぎないらしく 
この阿弥陀如来の石仏に、船頭と遊女の悲恋物語が付会されたのは、
この庚申塔の造立意図が、もう江戸時代の終わりごろには、
わからなくなっていたからだそうです。

しかし例え「物語」であったにしても
地元有志によって建てられたこの石碑の碑文を、
いわゆる「作文」と言ってしまってはもったいないでしょう。

「製塩に使う燃料を運ぶ船頭」の存在や「年季が明けるとここへ来た遊女」、
「僅かばかりのお金を出しあい、供養のための碑を建てた」など、
当時の行徳や江戸の庶民の様子が生き生きと伝わってくる
地域の歴史を知るための貴重な石造文化財だと思います。











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