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行徳寺町88 -行徳の街並み16 行徳にある倉庫 

 

_IGP0011
PENTAX K-x
PENTAX Super-Takumar 50mm F1.4



行徳寺町を紹介するシリーズの88回目です。

1)行徳寺町(必見)
2)行徳寺町の歴史
3)徳願寺1 (行徳札所第一番) 
4)徳願寺2 (行徳札所第一番)
5)徳願寺3 (行徳札所第一番)
6)行徳の街並み1
7)徳願寺4 (行徳札所第一番)
8)常運寺1
9)常運寺2
10)行徳の街並み2
11)福泉寺 (行徳札所第二番)
12)長松禅寺1 (行徳札所第三番)
13)長松禅寺2 (行徳札所第三番)
14)妙応寺1
15)妙応寺2
16)妙頂寺
17)世界に誇る行徳の伝統事業 -神輿
18)500年の歴史を持つ浅子神輿店
19)香取・相之川例大祭
20)行徳神輿の担ぎ1 地摺り
21)行徳神輿の担ぎ2 さす・投げる
22)行徳神輿の担ぎ3 子供神輿と人々の笑顔
23)自性院1 (行徳札所第四番)
24)自性院2 (行徳札所第四番) 勝海舟の歌碑
25)神輿の故郷、中台製作所にお邪魔しました
26)貴重な神輿制作の現場取材記
27)現代の神輿師中台洋さんにお話を伺う
28)放火から蘇った神明(豊受)神社
29)大徳寺 (行徳札所第五番)
30)正源寺 (行徳札所第七番) 560年誰も見たこと無い辨天様の居る寺
31)徳願寺の初詣
32)行徳の街並み3 澤木酒店
33)養福院 (行徳札所第八番) 
34)春日神社(妙典)1
35)春日神社(妙典)2 関東一の獅子がいる社
【番外編】中山法華経寺 -日蓮宗の大本山 
36)清寿寺 病気にご利益の高い寺
37)八幡神社(上妙典)
38)妙好寺1
39)妙好寺2 茅葺きの山門がある寺
40)妙好寺3 御会式の万灯行列
41)胡録神社(河原)
42)春日神社(河原)
43)雙輪寺 (行徳札所第九番・十番)
44)了極寺 (行徳札所第十一番)
45)安養寺1 (行徳札所第十二番)
46)安養寺2 (行徳札所第十二番) 国内唯一のはだし大師
【番外編】雪の行徳寺町その1 その2その3
47)大鷲神社 千葉県初の横綱を産んだ神社
【番外編】行徳寺町と東日本大震災
48)妙行寺 枝垂桜がある御祈祷の大寺院
49)稲成神社、浄経寺、日枝神社 、圓福寺、常明寺 
50)甲大神社 1000年以上の歴史を持つ大和田の氏神
51)稲荷木一本松と延命地蔵
52)稲荷神社(下新宿)
53)行徳寺町公園で一休み
54)権現道 徳川家康が歩いた古道
55)法泉寺(行徳札所第十三番) 家康のお休み処
56)妙覚寺1  房総にただ1基あるキリシタン灯籠
56)妙覚寺2 かつての行徳の名残 正覚延壽辨財天池
57)法善寺(行徳札所第十四番) 芭蕉歌碑と四万十川の巨石のある塩場寺
58)行徳の街並み4 田中染物店
59)行徳の街並み5 中島米店 旧成田街道分岐点であり寺町の入口
60)豊受神社(本塩)
61)圓頓寺
62)行徳の街並み6 平川医院
63)浄閑寺 (行徳札所第十五番) 参道にある六面塔
64)行徳の街並み7 廣月堂 -昔懐かしいお菓子屋さん
65)行徳の街並み8 田中邸
66)正讃寺 草庵のように佇むお寺
67)行徳の街並み9 漁師町の面影
68)行徳の街並み10 行徳橋南詰の景色
69)教信寺 (行徳札所第十六番・十七番)
【番外編】行徳を舞台にしたドラマ「帰郷」が放映されました。 
70)上妙典龍宮様
71)行徳のシンボル 常夜灯
72)行徳の街並み11 対岸の造船所 
73)行徳の街並み12 加藤邸 行徳初の国登録有形文化財
74)行徳の街並み14 笹屋うどん 築160年の古民家 かつての行徳名物
75)行徳の街並み15 後藤神輿店
76)徳蔵寺(行徳札所第十八番・十九番)
77)本久寺 眼病守護の日蓮大菩薩
78)横町稲荷神社
79)胡録神社(関ヶ島) 横綱栃錦の土俵がある神社
80)豊受神社(伊勢宿)
81)神明神社 ちょっと笑える狛犬
82)八幡神社(本行徳)
【番外編】行徳寺町オフ会開催!! -寺のまち回遊展
【番外編】寺のまち回遊展レポートその1 
【番外編】寺のまち回遊展レポートその2  -浅子神輿店の内部を見学!
83)清岸寺 (行徳札所第二十番)
84)馬頭観世音
85)おかね塚  遊女の恋物語伝説
86)ぽっくり蛙
87)湊水神宮

も是非お読み下さい。



以前行徳の町の歴史でも書いたが
明治27年の国鉄総武線が出来るまでは
行徳は水運の町としても栄えていた。

水運で栄えた町にはたいがい倉庫がある。

そう、行徳にも往時の面影を見せる倉庫がまだ見れるのである。


_D7C1805
Nikon D700
Tamron SP AF 28-75mm F/2.8 XR Di LD Aspherical [IF] MACRO (Model A09 II)
M ( F6.3 -1/160 ) ISO400 -1.0EV AWB



水運は明治の後半には廃れ、
高い堤防が出来ると港としては適さなくなったせいか
これらの倉庫はひっそりと行徳の町の奥に佇んでいる。



_IGP0008
PENTAX K-x
PENTAX Super-Takumar 50mm F1.4



この倉庫は川沿いほど近くにあるのだが
既に大きな堤防があるため一見どういう建物か判らない。

立派な石造りの建物の屋根には瓦葺き屋根が載っている。

窓は格子が据えられていて堅牢な印象があります。


昔行徳では塩を製造していたので 
行徳塩を使った味噌の醸造所が旧道沿いに沢山あったそうで
こうした倉庫も味噌醸造と関係があるのかもしれない…

が、しかし何の看板も無く、倉庫といっても物流として
現在動いている様子はもう無い。



_IGP9996
PENTAX K-x
PENTAX Super-Takumar 50mm F1.4



いろいろ調べてみたけど行徳の倉庫に関する資料は何も無い。

最近でこそ行徳の寺町通等は整備され、
訪れる人も少しづつ増えてきた感があるが
これらの倉庫や蔵は訪れる人もなく
本当にひっそりと街の中にある。

しかしこうした立派な風情の建物は残っているうちに
上手く街の景観のひとつとして活用を検討した方が良い
と思うのはボクだけだろうか…



_IGP9987
PENTAX K-x
PENTAX Super-Takumar 50mm F1.4




■撮影メモ
今回主に使ったスーパータクマー50/F1.4は
以前も紹介した放射線を放つ放射能レンズである。

まっ黄色に変色しているがデジカメだとWBが効いて若干補正される。
しかし、何故か独特の渋い発色になるので面白い。










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コメント

行徳の隣町市川で育った

私の中の行徳は川向こうの寂れた町、行徳街道を夏の夕暮れに車で行くと道に縁台を出し夕涼みをしている町の人の姿、昭和40年前あたりまではこんな感じの町、しかも縁台は道に平行してではなく直角に出してあるものだから車はそれらを避けながらあっちふらふら、こっちふらふらと走らなくてはならず、バスの運転手はさぞかしと思う町でした、しかし行徳の町は悲しい歴史の街と言う話を聞いたことがあります、両国から行徳へは小名木川と言う幹線水路がありながら一大都市に為り得なかったのは60年~100年に一回の津波によるものだという歴史、町が栄えると行徳街道の一部を除き津波に洗われお寺が1つ出来、年月が経ち皆が津波を忘れ町が栄え津波が町を洗い又1つお寺が出来、お寺の数だけ津波が来たという話です。本当の事か嘘なのか私には解りませんが関東大震災のときは市川から船橋まで津波が襲い総武線の土手で(昔と言っても今から35年位前までは高架では無く土手でした)防ぎきることが出来たのだそうです。ちょっと暗い話になって申し訳ない。次回は明るい話を

Re: 行徳の隣町市川で育った

コメントありがとうございます!

往時の行徳の様子がよく解りますね。

私の世代でも昔の行徳と今の行徳は大分イメージが違います。

けど、街にはずっと以前から変わらない面影も残っているのが
どことなく魅力かと思っております。

津波は本当に凄かったみたいですね。

古い文書あさっていたら、仰るような総武線で止まった津波の話を私も知りました。

地形から考えても高潮ひとつで大きな被害出てもおかしくない場所ですし
今寺社を巡っても、一箇所にまとめられた小さな墓を見ると
これはきっと流されたんだろうな…と想像しています。

またお話聞かせて下さい。

今後もよろしくお願いいたします。



> 私の中の行徳は川向こうの寂れた町、行徳街道を夏の夕暮れに車で行くと道に縁台を出し夕涼みをしている町の人の姿、昭和40年前あたりまではこんな感じの町、しかも縁台は道に平行してではなく直角に出してあるものだから車はそれらを避けながらあっちふらふら、こっちふらふらと走らなくてはならず、バスの運転手はさぞかしと思う町でした、しかし行徳の町は悲しい歴史の街と言う話を聞いたことがあります、両国から行徳へは小名木川と言う幹線水路がありながら一大都市に為り得なかったのは60年~100年に一回の津波によるものだという歴史、町が栄えると行徳街道の一部を除き津波に洗われお寺が1つ出来、年月が経ち皆が津波を忘れ町が栄え津波が町を洗い又1つお寺が出来、お寺の数だけ津波が来たという話です。本当の事か嘘なのか私には解りませんが関東大震災のときは市川から船橋まで津波が襲い総武線の土手で(昔と言っても今から35年位前までは高架では無く土手でした)防ぎきることが出来たのだそうです。ちょっと暗い話になって申し訳ない。次回は明るい話を
  • [2012/06/25]
  • URL |
  • ふくいのりすけ
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